研究室探訪

池田 修 研究室

池田 修 准教授
児童教育学科

『教師になるということ』
発行/ひまわり社
定価/903円 (税込)
183ページ 2007年9月刊行

生徒の側から教師の立場へ視座を転換して、教育の哲学を考える

最近出版された本『教師になるということ』についてお聞かせください。

 この本は、教師を目指している高校生を対象に行った模擬授業やガイダンスの内容をまとめたものです。将来教師になりたいと考えている高校生や大学生、それから教師になって5年目までの先生方に読んでもらいたいと思い、書き上げました。入門書なので、あえて難しいことは書かず、1時間半から2時間以内で読めるようにまとめています。また、読み手にわかりやすいように、小見出しにも工夫を凝らしました。
  私は大学教員になる前、約20年間中学校で国語科の教師をしてきました。だから、この本を読んでくれた人たちからは、教育の現場でやってきた事実と、アカデミックな理論・哲学の両方の視点から書かれた本だという感想を聞きます。一般的に、現場の先生が本を書く場合、どうしても「教育の方法のみのHow to本」になってしまう傾向があります。しかし、どうしてそのHow toが必要なのかということ、つまりその背景にある教育の理論や哲学といったものを考えなければならない、と私は思うのです。

教育の理論や哲学を考えること

 私が中学校教師になった頃は、教育の指導技術というのは、いわゆる名人芸でした。それがこの20年の間に、指導方法がかなり整理されてきて、今日では、「こうすれば教師になれる」というようにマニュアル化されてしまいました。しかし、本来そうしたマニュアルの背景には、「このような目的を達成するため」という指導者の理論や哲学があるはずです。ですからこの本では、指導の技術を通して教育の哲学と理論を考えていきたいということを伝えたかったのです。
  日頃大学で教えていて感じるのは、技術を習得すれば指導ができると学生達は勘違いしてしまうことです。本当なら、そこから教育の哲学を考えていかなければならないのです。例えば、黒板に字を書く時には、注意の6割を生徒に、4割を黒板に向けるという6:4の法則があります。学生たちはこの法則を教わってなるほどと思うのですが、6:4の構えを型どおりに実践することのみに気を取られ、これが子どもに伝え、理解させるための方法だということがわからないんですね。そもそもテクニックは何のためにあるかが抜け落ちてしまっているのです。テクニックやマニュアルの根本的な哲学を考える必要性を痛感しています。

読者、とりわけ学生に伝えたいことは何ですか?

 普通、教師になって3年ぐらいで、自分の教育スタイルがだいたい決まってしまいます。それ以降は一国一城の主となり、他者の意見を聞かなくなってしまいがちです。ですから、合格をゴールとするのではなく、新卒5年目ぐらいまでは懸命に勉強すべきなのです。読者から頂いた感想によると、この本が自分の教育を考え直すきっかけになったという先生もいます。一校目の赴任地で教師スタイルが決まってしまうので、若い先生はどんどん学校を変わった方がよいと私は思います。校風というのは、それぞれの学校によって全く異なるものですからね。

読書の大切さと視座の転換

 教師を目指している学生には、もっとたくさん本を読んでほしいものです。そうすると、「どんな本を読んだらいいですか?」と質問する学生が多くいますが、これは本を読んでいないことを意味するのですよ。100冊読めば、本の方から「次はこれを読んで」と言うはずです。文章を通して内容を豊かに想像することができるので、活字本をたくさん読むことが望ましいです。
  こうして本をたくさん読むことによって、雑学が身につきます。特に小学校・中学校教育においては、雑学はとても大切です。教師は、教えたいテーマの周辺に雑談を織り込むことをよくしますが、これにより子ども達はストーリーとして記憶し、学習していきます。この雑談ができるようになるためには、雑学が必要なのです。色々と読んでいったら1年間に軽く100冊は超えますよ。
  それから、学生には、色々な先生の授業をその先生の立場で見てほしいと思います。この本では、「視座の転換」というものを求めています。つまり、学生や生徒の側から先生の視点・立場で物事を見なさいということです。例えば、私の受け持つある講義では、「100人の子どもを引率して○○に行く」という実踏計画(実地踏査の計画)を学生に立てさせています。まず計画を立て、実際に現地に行って調べ、さらに計画を書き直すということをしています。学生は現地調査で、大人数の子どもを引き連れて信号を一度に渡れないことや、全員集合できる場所の確保の難しさなどを思い知ります。これによって、教師の視点というものを多少なりとも持てるようになると思います。

先生の今後の研究テーマについてお聞かせください。

 最終的には、「教師教育論」を研究していきたいと思っています。その中でも興味があるのが担任の仕事です。教師になる人は誰もが担任になるので、担任としてどう指導するかについて考えていく必要があります。今日、これだけ学級崩壊が深刻な問題となっているというのに、教師を養成する大学の講義には「学級担任論」がありません。私は、この理論をつくっていかなければならないと強く感じているのです。「特別活動論」や「国語科教育法」という個々の講義をつなぐものが必要であり、そのキーワードこそが「担任」だと考えています。