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[ 世界同時不況 ]

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阪本 崇 准教授
現代マネジメント学科

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Q.現在、世界経済は「100年に一度の危機」に直面していると言われていますが、これはどういうことですか?

 この表現は、現在の経済危機がおよそ80年前の大恐慌に匹敵するということを、分かりやすく表現しているのだと思います。
 18世紀のイギリスで産業革命が始まって以来、資本主義経済は、ほぼ10年ごとに大きな景気後退に見舞われました。とくに深刻な景気後退として知られているのは、1929年10月24日、いわゆる暗黒の木曜日にニューヨーク証券取引所での株価の大暴落をきっかけに起こった「世界大恐慌」です。とりわけアメリカでは、労働者の4人に1人が失業するという状態にまで経済状態が悪化しました。F.ルーズベルト大統領のニューディール政策によってこの危機が乗り切られたと中学・高校の歴史や公民で習った方も多いかと思います。
 しかし、その後は、政府による経済安定化政策が一定の効果をもったことや、失業保険などの社会保障制度が充実したことで、景気後退それ自体はあるにしても、大恐慌のような悲惨な結果をもたらすようなものは起こっていませんでした。ところが、昨年の秋以降、大恐慌に匹敵することになるかもしれない世界的な景気の後退が起き始めているのではないかと懸念されているわけです。

Q.今回も、1929年の「暗黒の木曜日」にあたるような、景気後退のきっかけはあったのでしょうか。

 2008年9月15日にアメリカの大手証券会社のひとつであるリーマン・ブラザーズの経営が破綻しました。いわゆるリーマン・ショックです。これがひとつの大きなきっかけになったことは間違いありません。その日、ニューヨーク株式市場では、2001年9月11日に起きた世界同時多発テロ事件以来、7年ぶりの大幅な株価の下落を記録しました。そして、その影響は翌日から世界中に広がり、多くの市場で株価をはじめとする証券価格の大幅な下落が起こりました。
 リーマン・ブラザーズの経営破綻は、一企業の倒産以上の意味をもっていました。リーマン・ブラザーズが破綻したのは、保有していた金融資産、なかでも不動産担保証券と呼ばれる金融資産の価格が急速に下落したために、債務超過、つまり返済義務のある借金の額が保有資産の額を超える状態になってしまったためです。リーマン・ブラザーズ以外にも経営破綻に陥る危険性のある企業はほかにもたくさんありましたが、リーマン・ブラザーズに対しては、アメリカ政府は救いの手をさしのべませんでした。主な理由としては、アメリカではそもそも政府の市場介入を嫌う風潮が強く世論の反発を受けかねないこと、アメリカの財政赤字がすでに相当大きくなっており、これ以上の財政支出はドル安を招いてアメリカ経済に大打撃を及ぼす懸念があったことなどが挙げられます。いずれにしても、このことによって「アメリカ政府は経営危機に陥った金融機関を救済しない」という強いメッセージが市場に広がったために、投資家たちは手持ちの金融資産を売るなどして、市場から次々と資金を引き揚げました。その結果、世界同時株安とも言えるような事態になったわけです。

Q.では、多くの証券会社を経営危機に陥れた「金融資産の価格の急速な下落」はどうして起こったのでしょうか。

 金融資産のなかに、金融機関が住宅購入者に貸した住宅ローンの契約を寄せ集めて、切り売りした不動産担保証券やそれをまた寄せ集めて作った資産担保証券というものがあります。住宅購入者にとって、住宅ローンは負債つまり借金になりますが、貸し手の金融機関からすれば、その契約を保有していれば、元金の返済や利子といった形でお金を手に入れることのできる資産です。個々の住宅ローンはいつ返済が滞るか分かりません。しかし、たくさん寄せ集めれば、そのリスク(危険性)はある程度予測可能なものになります。これを切り分けて、さらに様々な保証をつければ安全な金融商品になるとされていました。
  ところが、困ったことに、不動産担保証券には、サブプライム・ローンが含まれていたのです。サブプライム・ローンというのは、所得が低かったり、過去に破産経験があったりして返済ができなくなる可能性が高いと判断される人のための住宅ローンです。このような人たちにお金を貸すことは、貸す側にとってはリスクの高いことですので、その対価として高めの金利が設定されます。つまり、借り手は通常よりも高めの利子を支払わなければなりません。返済能力が低いのに、より多くの利子を支払わなければならないわけですから、ふつうに考えればそのような住宅ローンを借りる人は多くないはずですが、サブプライム・ローンの場合、当初の数年間は利子が低く設定されていたため、急速に普及したのです。
 さらに当時、アメリカの住宅市場は投資が投資を呼ぶバブルの状態になっていて、住宅価格は上昇の一途をたどっていました。そのため、住宅を担保にすれば、借り換えを行うことが簡単にできました。借り換えができれば、また数年間は低い利子で済みます。そして、利子が高くなる前にまた借り換える。これを繰り返せばよいわけです。場合によっては、借入額を増やして庭にプールを作ったり、自動車を買い換えたりするということも行われました。しかし、バブルは「泡」という名前の通り、いつかははじけます。アメリカの住宅バブルも例に漏れず2007年に崩壊し、住宅価格は大幅に値を下げました。 その結果、ローンの返済ができなくなった人々がたくさん出てきたのです。
 住宅ローンが返済されなければ、それを元にして作られた不動産担保証券などの金融資産の保有者にもお金は入ってきません。もっていてもお金が得られない金融資産は、当然のことながら価値が下がります。世界中の投資家は、そうなるまえにと不動産担保証券などの金融資産をわれ先にと売り始めました。それが世界的な金融資産価格の下落を引き起こしたのです。不動産担保証券や資産担保証券の仕組みにも問題がありました。多くの資産を集めて切り売りすることを繰り返していたために、もとの資産の構成を知ることが難しくなり、だれも自分のもっている金融資産のリスクを正確に理解することができなかったと言われています。そのことが、投資家の不安をより大きいものにし、「売り」に拍車をかけたのです。

Q.このような経済危機に直面して、私たちはどのようにするべきなのか、経済学の立場から先生のアドバイスをお願いします。

 誤解されている方も多いのですが、経済学は処世術や生活の知恵を教える学問ではありません。景気が悪くなって以来、経済ジャーナリストなどの肩書きをもつ人がテレビに登場して日々の節約術などを伝授していたりしますが、これは経済学ではありません。むしろ、各個人がそういう対応をすると、国全体の消費が減って、ものが売れなくなり、景気がいっそう悪くなるのではないかなどと考えるのが経済学です。ですので、読者のみなさんが、どのようにすれば不況の時代を生き残ることができるのかということを、ここでお教えすることはできません。そのかわりに、同じようなことが再び起こらないようにするには、何が必要かということについて考えておきましょう。
 すでに述べたとおり、今回の金融危機のきっかけのひとつがリーマン・ショックであったことは間違いありません。あのとき速やかに政府が公的資金の注入を行っていれば、ここまで事態が悪化することはなかったかもしれません。公的資金の注入が行われなかった主な理由を2つ挙げましたが、それらについてもう少し詳しく見ていきましょう。
 まず、経営破綻した証券会社の救済に政府のお金が使われることには世論の大きな反発があることの背景には、証券会社の経営者や社員に対する不信感のようなものがあります。アメリカの証券会社の経営者は、日本の小さな自治体の予算に匹敵する金額の報酬を毎年のように得ていましたし、社員のなかにも、年収が5000万円以上にもなる人がたくさんいたと言われています。なぜそのような人たちの働く会社を救う必要があるのかと多くの人々が反発したとしても無理はありません。
 また、財政支出の増加は、ドル安を引き起こすという懸念だけでなく、人々が将来に対して不安になる原因にもなります。すでにアメリカは巨額な財政赤字を抱えているわけですから、財政赤字がさらに増えて将来の世代に負担を残すのではないかと多くの人々は不安になり、そのため財政支出の増加に反対するのです。
 上にあげた2つの要因はともに、ここ30年ほどの間に先進各国で進められてきた経済政策によって生み出されたものだと言えます。1980年前後から、イギリスやアメリカを中心に先進各国では、市場を重視する経済政策が進められてきました。民営化や規制緩和を行うことによって、民間企業の活力を生かして経済発展を進めようとする政策です。日本でも、国鉄の民営化から最近の郵政民営化にいたるまで、同様の政策がとられてきたのはご存じのとおりです。その一環として、所得税のフラット化、ごく簡単に言えば高い所得に課す税率を引き下げる税制改革も実施されました。
 市場を重視した経済政策の結果、先進諸国では人々の間に所得の格差が広がりましたが、フラット化された所得税には、この格差を是正するだけの機能はありませんでした。上で紹介したような証券会社の経営者も、かつてであればたくさんの税金を払っていましたが、今ではずっと少ない税金で済んでいます。その結果、政府や自治体は税収不足に苦しむようになり、十分な公共サービスを提供できなくなるとともに、政府の赤字もふくらんでいます。公共サービスの低下によって不利益を被るのは、ごくふつうの人々です。こうした状況のなかで、人々が将来、政府がその借金を返すために増税を行い、自分の子供たちの生活が苦しくなるのではないかと考えたとしても当然でしょう。もし、証券会社の経営者たちがかつてのように、景気のよいときにたくさん税金を支払っていれば、多くの人々は、困ったときに彼らに救いの手をさしのべることにこれほど反発しなかったでしょうし、政府の財政にもそれだけの余裕があったでしょう。
 経済は生き物のようなもので、どんな動きをするかを事前に予測するのは大変難しいことです。したがって、いつ何が起こってもよいように社会全体で準備をしておくことが必要です。大きな景気後退が起こりそうなときには、政府がすぐにお金を出せるように、そして、そうすることに国民の理解が得られるようにしておかなければなりません。国民のひとりひとりも、基礎的な経済学の知識を身につけて、そのような経済政策を選択することができるようにしておく必要があると思います。