TBキーワード

[ 国語力を高める ]

写真

甲斐睦朗 教授
日本語日本文学科

profileはこちらへ

Q.最近、「国語力」という言葉をよく耳にします。「国語力」とは何を意味するのですか?

 「国語力」とは、日本で生活する人々がこれからの社会で必要とする、また、生きていく意欲を支える言葉の力を表します。この先の日本社会というのは、5年後でさえ予測不可能な社会です。それでも、国語力を持っていたら、こうした先行きの不透明な日本社会を力強く生きていけます。平成16年2月に出された文化審議会の答申「これからの時代に求められる国語力について」では、このような国語力を身に付けるための方策が提案されました。
 国語力を身につける方策としては、ひとつには国語科の授業における学習と、もうひとつには読書があげられます。国語力は、次の図のように、台形でとらえることができます。

 台形の下の部分は蓄積できるもので、その蓄積が多ければ多いほど、広くしっかりとします。上の部分は言語活動能力といい、例えば新聞で知った情報に問題を見いだし、それを調べて考えることにより、問題を解決し、理解することを意味します。読書をすればするほど、下の基礎部分はいっそう分厚くなり、上の部分はより豊かに、鋭くなっていきます。こうした能力を持っていることで、社会人としてのレベルに達しているといえるのです。
 近年、「言語力」という用語もよく使われていますが、「言語力」とはとりわけ台形の上部分の、考える力を中心とする力のことをいいます。すなわち、何らかの問題を見いだし、それを解決していく力のことです。国語科に限らず、理科や数学でも言葉で考える部分がありますが、そこで必要とされるのが言語力です。したがって、言語力も育成していかなければなりません。
 ところが国語科の授業は、作品中の登場人物の気持ちを読み解くことに重点を置きがちです。これは楽しいけれども、子供たちの国語力を伸ばすことにはなりません。例えば、小学校4年生で『ごんぎつね』を読みますが、「その時の主人公の気持ちは?」というような授業が多すぎるのです。子供の興味というのは、当時の祭りや葬式や食べ物など多岐にわたるはずなのですが・・・だから私は、国語科はもっと広くやっていく方が良いと思うのです。子供たちの関心の対象は広く散らばっているのですから、教科書にのっている文学作品はもっと多様性があっていいと思います。

Q.国語力を構成する台形の基礎部分をしっかり築くためにはどうすればよいのでしょうか?

 読書が大切ですが、これだけでは無責任になってしまいます。読書に加えて、知識や情報を身につける術を教えることもまた必要なのです。明治・大正・昭和初期の様々な文章表現や文体を読み慣れ、語彙やイディオムを身につけていくことが大切です。したがって、国語の授業では、読書案内・文学史・読み方を指導していかなければならないと思います。
 高校生、大学生など年代別におススメ本リストがあればよいのですが、残念ながらありません。高校で外国文学を読む機会はどれだけあるでしょうか?例えば、映画『ブリジット・ジョーンズの日記』はジェーン・オースティンの『高慢と偏見』が土台になっていますが、ジェーン・オースティンの作品を読んでいる人は、日本に一体どれほどいるのでしょうか?私は、授業中に先生が、「こんな本が面白かったよ」と脱線することも大切だと思います。先生も本を読まなければならないのです。10分間の朝読や、先生が読み聞かせをしている愛知県の20分読書のような取り組みを通して、本好きの子供たちが増えてくるとよいですね。

Q.『PISAの読解力』というのもありますが、これは何のことですか?

 全世界(OECD加盟国及び非加盟国)の15歳(中学3年)を対象におこなわれる、数学的知識・理科的知識・読解力に関する学習到達度調査のことをPISAといいます。読解力については、日本は2000年調査で8位と、1位とあまり違いがなかったのですが、2003年調査では14位となり、上位グループから落ちて平均並みになってしまいました。これは深刻な問題で、どうしたら成績を上げることができるかが課題になっています。PISAの読解力は考える力に重点がおかれていて、ディベート的です。ディベートでは、二つの意見のどちらがいいかを、理由を述べて説明しなければなりませんが、日本の子供はこれがなかなかできないのです。「どちらもいいと思う」や「どちらにも利があると思う」としたり、白紙答案が多いのです。これは極めて日本的で調和的な考えだと思います。どうしてこういうことになるかというと、日本の授業では子供たちに本心をさらけ出すことをしていないからです。ちなみに、2000年、2003年調査ともに、1位はフィンランドでした。ディベートでは立場を交代することが大切です。こうしたディベートを理論としてできるといいのですが、日本人は信念としてやってしまいます。PISAもゲームとしてできるといいのですが、日本人はそれができないんですね。私はそんな日本人が好きなのだけれども...しかし、ゲームとしてできることも大切なので、PISAのテストの時は、どちらがいいかをしっかりと明らかにする方法でやって、1位になった上で、本当の国語力を身につけていきましょうという目標を立てています。
  ところで、今の社会の中で大学に文学部がある意義とは何でしょうか?伝統的な日本語日本文学科と外国から入ってきた映像論やメディア論。私はこの二つが共存していくことが大切だと思います。日本のこれまでの歴史では、新しいものが入ってきても古いものを捨てず、共存の道を歩んできました。国語力には国文学だけでなく、外国文学も含まれます。様々な読書の過程で語彙や表現力が堆積し、いつかそれが生かされてくることになると思います。

Q.最後に、大学生の読書について、先生から何かアドバイスはありますか?

 大学生には、次のような三種類の読書に取り組んでほしいと思っています。一つには、ベストセラー作家や流行作家の作品群を読むこと。二つ目は、世界の名作・日本の名作です。例えば、新潮文庫がおくる100冊であるとか、ドストエフスキーやトルストイなどの近代文学や古典を是非読んでほしいですね。こういった本は、大学生の時こそ読めるものです。そして三つ目は、心を落ち着けて、教養的な作品を読んでほしいと思います。これはかなり学問的・教養的なもので、例えば和辻哲郎の『風土』や『古寺巡礼』などです。自分の専攻に近い本を読むことに加えて、文学部の人が数学について書かれた本を読むなど、時には冒険をしてみるのも楽しいですよ。このような三種類の図書を、学生たちは食わず嫌いをせずに、まんべんなく読んでもらいたいものです。大学生協では本の種類ごとにコーナーに分かれているので、自分の専門外のところを覗いてみるのも良いと思います。