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平田由香利さん

平田由香利さん 英語コミュニケーション学科 卒業(2009年3月)/何でもやってみなければわからない。壁を乗り越え、新しい自分と出合ってほしい/PROFILE:富山県出身。2009年3月、英語コミュニケーション学科卒業。卒業後、1年半旅行会社に勤務し退職。青年海外協力隊として2012年3月から2014年3月まで2年間、アフリカのモザンビーク共和国に派遣され、支援活動を行った。
何でもやってみなければわからない。壁を乗り越え、新しい自分と出合ってほしい。

―なぜ青年海外協力隊の活動に参加しようと思ったのですか?

学部2回生のときに、SAP(約半年間の海外留学)でカナダに行ったのですが、そこでジンバブエ人の友達ができてアフリカに興味を持つようになりました。卒業旅行でケニアのボランティアツアーに参加して以来、もっと長期で現地の人と関わりたいと思っていました。その後、東日本大震災のボランティアに参加し、「誰かのために、何か自分にできることがあるなら」と思い、青年海外協力隊に応募することに決めました。

―派遣されたモザンビークでは、
 どのような活動を行っていたのですか?

モザンビークでは、1カ月のポルトガル語の語学研修の後、郡の経済事務所に派遣されました。現地で、私は「村落開発普及員」として、地元資源の活用方法の創出や、農業技術の改良、組織・管理体制づくりなどを任されました。例えば、パパイヤなどの果物が多くとれるのですが、それまでは生鮮品として売り、腐ったら捨てるという販売方法しかありませんでした。それを日持ちのするジャムに加工して瓶詰めして商品化し、それを置いてくれる店を探して販路を開拓しました。また、養蜂の技術を現地の人に教えるために講習会を受け、不純物をきちんとろ過してから販売する方法を確立させました。養蜂もゼロからのスタートだったので、蜂に数カ所も刺されたりして大変でした(笑)。そのほか、販売方法や体制が持続していくように、管理の方法や組織づくりなどにも取り組みました。とにかく1年目は手探りで進む年でした。2年目からいろいろと考えてできるようになったと思います。

―活動のなかで印象に残っていることは何ですか。

派遣された当初、現地の村人からはなかなか受け入れてもらえませんでした。しかし、事務所のスタッフと村人との交流会などに積極的に参加しながら、徐々に村人と信頼関係を築いていきました。最後は皆がちゃんと名前で呼んでくれるようになり、受け入れてもらえたことが印象に残っています。最初は不安でしたが、現地の人に助けてもらって何とか2年間を乗り越えることができました。限られた期間内に、一定の活動成果を出さなければという焦りから、村人との時間感覚の違いなどに戸惑ったこともありましたが、現地の人の目線や考え方に立つことが大事だと気づき、現地の人の考えを尊重しながら活動を行うようにしていました。

―どのような大学時代を過ごしたのですか。

大学のときは、英語力を向上させるために努力しました。昼休みに、ネイティブの先生と英語で会話をしたり、家で海外の映画を観たり、ゼミでシャドウイングなどにも取り組みました。卒業論文は、「アフリカの子ども労働について」というテーマで作成しました。

―今後の展望や目標を教えてください。

国際協力に携わるNGOなどで仕事をしたいと考えています。やはりモザンビークに恩返しがしたいので、できればそこに関わるところで働きたいです。そのほか国内で行われている「地域おこし協力隊」などにも興味がありますね。

―学生の皆さんへメッセージをお願いします。

「何でもやってみる」ことが大事です。何かに挑戦すると、必ず壁があります。でも、それを乗り越えるときに新しい自分、新しい考え方に出合うことができます。学生の皆さんには、何にでもチャレンジしてほしいと思います。