ブックタイトルtachibanabeing73
- ページ
- 4/12
このページは tachibanabeing73 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは tachibanabeing73 の電子ブックに掲載されている4ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
tachibanabeing73
1955年東京都生まれ。1984年中央大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。1989 年に京都橘大学(当時・京都橘女子大学)文学部に専任講師として着任し、現在、文学部歴史学科教授。専門は日本中世史・思想史。『日本中世の社会と寺社』(思文閣出版)、『関東往還記』(平凡社)、『漂泊の日本中世』(ちくま学芸文庫)など、編著書多数。日本中世史研究の出発点と展開平原:先生が、日本中世史の研究をされることになったきっかけは何ですか?細川:高校が鎌倉にあったので、高校に通いながらいろいろな鎌倉時代の寺や史跡を見て回ったりして、仏教、武士、政治など鎌倉時代全般に興味をもったのがきっかけです。その後、大学で鎌倉仏教を研究し始めて、今に至ります。平原:鎌倉仏教の研究とは、どのような研究ですか?細川:鎌倉時代で有名なのは、法然や親鸞、道元などが興した新仏教ですが、私は、旧仏教の復興をした叡えいそん尊や忍にんしょう性などの研究をしています。叡尊は、奈良時代に鑑真が伝えた戒律を守ることを重んじる「律宗」を再興した人物です。彼らは、慈善事業や貧民救済、茶の普及に努める歴史上の人物の人生から現状を相対化し俯瞰的に見る視点を養う文学部歴史学科細川 涼一 教授(学長)京都橘大学の学長であり、日本中世史・思想史研究の第一人者でもありながら、おっとりとした優しい語り口と、時折見せるお茶目な一面で人気を集める細川涼一教授のゼミ。今回、細川教授に、ゼミ生の平原一馬さんがインタビューしました。細川涼一プロフィール研究室探訪などの活動をしました。そうしたことから、私は、社会的な影響力においては、新仏教の開祖よりも叡尊たちのほうが大きかったのではないかと考えています。仏教史は、私の研究の出発点ですね。平原:先生は仏教史のほかに女性史の研究もされていますが、それはいつ頃から始められたのですか?細川:本学に着任してからです。当時は女子大学でしたし、「学生が興味を持つ授業」を考えたときに、もともと研究していた仏教の教義などを教えるよりも、鎌倉時代の政治史と女性史とを結びつけた授業をするほうが適していると考えました。そういうわけで女性史にも研究分野を広げました。また、もともとの研究においても、平安時代に廃れてしまった法華寺などの尼寺を、叡尊が復興したという史実もあり、女性史と関係がな